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筋萎縮性側策硬化症...思い出の介護 2007年:難病を患う女性の外出介助

[2022.02.21]
 筋萎縮性側策硬化症が悪化しているが、意識はとてもしっかりしている。
 訪問すると結果は予想より酷い状態。ベットに横になって殆ど身動きできない。身体はおろか、頭も自分では動かせない。手が辛うじて動く程度。
 さぞかし美人だっただろと思える顔立ちで気品もある。話しかけると、返事をするが、言語不明瞭で意味が読み取れない。
 外出と居室の小物の片付けで援助開始。
 外出時は移動が大変。ベットの寝返りも出来ないので、起すのも壊れ物を扱うみたいに慎重さが必要。動かし方が悪いと痛いらしく顔をしかめる。
 ゆっくり、しずかな、上げ下ろしが必要。…結果として、体力勝負の移乗。体の持つ位置でも痛がり、通常の移乗技術では通用しない。それでも残る力を振りし絞りご自分でも懸命に努力する。 
 何とか車椅子に座っても、座る位置も繊細だ、1㎝単位で変更が要求される。要求と言うより、少し位置がずれるだけで体が痛いらしい。頭の位置も1センチ単位で調整する…それだけ体がしんどいのでしょう。少し動かせる手で、もう少し右、左、前、後と要求がある。ご本人が気持ちよく座れる位置を把握するまでは大変だった。
 出かける前に水分やゼリーなどの補給、スプーンで口に入れる。一番食べやすい位置を探すのも苦労した。食べずらいと怒りはしないが涙目になる…これは介助する方も辛い。
 椅子に座ってからの着替えも大変…色々な注文がある…やはり聞き取れない。「ごめんなさい○○さま…もう一度お願いします」…懸命に話す○○様。少しだが手が動くので「文字表」(添付の写真)をパソコンで作り、指で言葉を指示して貰った。
 この文字表とても気に入ったようで、紐をつけ首から吊り下げとても感謝して大切にしていただいた。
 ご本人の話では、無理な延命はしない。余命は極めて短いように感じた、失敗は許されない、介護する方も真剣。残された短い時間を如何に快く過ごして頂くかを模索の日々... 
 車椅子で外に行く、途中のケーキ屋で、ケーキを二つ注文する。一つ食べて欲しいと。通常駄目なのですがこの方は例外に
 外出後お部屋に戻ると、時計ばかり見ている。自分がして貰いたい事が時間内で出来るか心配な様子。「大丈夫ですよ。そんなに急がなくとも時間はありますよ!」…やっと微笑む
 同じ施設内の事務所なので、予定外の日に訪問するととても喜んでくれた。一生懸命に「文字表」で訴える。「ああ、○○ですね」…分かるととても嬉しそう。
 そのうち私が転勤になった…転勤の挨拶の時涙ぐんでいた。
 私が作った文字表をつかい「あ・り・が・と・う」と指してくれた。 
 仕事が休みの日に施設ボランティアで三味線演奏をする。其の時には居室により、演奏するととても嬉しそう。他の方が聞きに来ると戸を閉めてほしいと。自分と二人の時間にしたかったんですね残り少ない命。
 演奏が終わって帰る時…ドアの外に数人が立って聞いていた。ごめんねみなさん。「また、三味線演奏くるからね。元気でいてください」転勤後2回ほど、休日に三味線演奏ボランティアに行った。
   …転勤して数ヵ月後にご逝去…寂しいね 合掌
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